ことばと猫と音楽と

英語を教える仕事をしています。猫が大好きですが、今は飼っていません。子どもの頃から大人になるまで、音楽を勉強しました。今も細々と学んでいます。食べることが大好き。

ピアノのこと

  わたしが2歳の時にうちにアップライトピアノが来たそうです。ピアノが来た日のことをわたしは覚えていないので、ものごころついたときには、ピアノが家にあったことになります。


 初めて耳にしたピアノ曲は、母が練習していた「エリーゼのために」。たどたどしいけれど、何度も何度も弾いていたので、今でも耳の奥で聴こえるような気がします。


 家にあるのにちゃんと弾けないことがもどかしくて、わたしはピアノを習いに行きたいと思っていました。その願いが叶ったのは5歳の時です。音楽教室のグループレッスンに、週一回通いました。


 幼児科コースはグループレッスンで、先生は若くて優しい女の人でした。くりくりした先生の目、色白の指、ショートカットの髪に、光る金縁の眼鏡。色々なことを覚えています。


 わたしはのろまな子どもだったので、駆けっこも後片付けもいつもビリでしたが、音楽のことは、割と飲み込みが良かったと思っています。歌うこともピアノを弾くことも、楽しかった。


 その後より専門的なコースに進み、グループレッスンと個人レッスンの両方で、楽典、ソルフェージュ、アンサンブル、作曲、そしてピアノを4年間みっちり勉強しました。その頃になると、ピアノはずいぶん上達していました。人より少し上手に弾けることは自慢でしたが、練習はそんなに好きではなかったかも。そこが、わたしが一流にはなれなかったところだなぁ、と今は思います。


 ピアノのコンクールやセミナーを受ける時には、しんどいほど練習をしました。音楽の楽しさを本当の意味で見つけることができていなかったのと、小さな子どもが何時間も難曲を練習することや、寝ないで翌日までに自作の曲を暗譜することは、今冷静に考えると、健康的な音楽の学び方ではなかったようにも感じられます。


 その一方で、あのときのあの苦しみがあったから、技術的にはとても上達できたのも事実です。スパルタ式というか、スポ根というか、とにかく苦しみの先に勝利があるのだ、というような考え方。今は、そうではない学び方があるなら、子どもはもっと楽しい心で音楽を学ぶに越したことはないと思っています。


 小学校6年生の時に、我が家にグランドピアノが来ました。小さなピアノですが、とても綺麗な音がしました。大学に入るまでは1日2時間くらい練習したでしょうか。学校から帰って、おやつを食べたらピアノ、という生活に、高校に入ると声楽の練習が加わりました。


 途中何度か辞めたいと思ったピアノでしたが、40代になった今も、細く細くピアノと付き合う人生が続いています。いつか自分の家を持ったら、実家に置いてきた二台のピアノとまた一緒に暮らしたいと夢見ていますが、どうなることでしょう。


 


 


 

運命のねこ

 ブリーダーさんにお願いした二つの条件というのは、「生後半年になるまで、親猫と一緒に過ごさせてくれること」と、「去勢手術を受けさせてくれること」でした。あまり小さいうちに親から離すと可哀想、というのと、病気や余計なストレスがないように。


 ブリーダーさんは快く条件をのんでくださり、めでたく猫が我が家にやってくることになりました。


 猫が生後3ヶ月になった頃、ブリーダーさんが猫を連れてうちに下見に来ることになりました。長毛で大柄で鼻ぺちゃなその猫は、仔猫と呼ぶにはずいぶん貫禄があるように見えました。


 「抱っこしてみますか?」と言われて抱いた仔猫は、大きさの割に軽くてふわふわで、柔らかかった。抱っこされながら一生懸命に首をのけ反らせて、丸いカンロ飴みたいな目でわたしの顔を不思議そうに見つめていたのが、とても印象に残っています。その時着ていた自分のセーターの色まで、10年以上たった今でもはっきりと覚えているのがとても不思議。


 ミルクキャラメル色の背中と、クリームみたいに真っ白なお腹。わたしたちはその猫にシフォンという名前をつけました。


 シフォンシフォンシフォン!シフォンがうちに来てから亡くなるまでの9年間、毎日毎日何度も呼んだ、愛しい名前です。


 


運命の日

 2匹目のまるくんが亡くなったのは、ある年の12月28日の夜明け前でした。様子がおかしいまるくんに気づいて、家族みんなで飛び起きました。どうしたものかと慌てふためいて、弟が夜間診療のある動物病院を検索している間に、母に抱かれてまるくんはいってしまいました。


 家族全員が仕事納めの日。朝一番で動物霊園へまるくんを連れてゆき、みんなで悲しいお別れをしました。真っ白でかわいいまるくんの、ピンクの耳の裏をまだ覚えています。


 それからその日どうやって過ごしたのか、どうやって無事にたどり着いたのか、とにかく家族はみんな何事もなかったかのように、それぞれの職場へ出勤し、一日仕事をしたのです。


 帰宅すると母が、職場でお世話になっている方から、「猫を飼わない?」と言われたというのです。その方の奥様が猫のブリーダーをされていて、一頭売れ残っているとのこと。「実は今朝、うちの犬が亡くなったばかりで、まだちょっと」と口を開いたとたん、母は朝からこらえていた涙が溢れてしまったそうです。


 愛しいまるくんを失った悲しみが大きくて、いつ立ち直れるのか、まだ希望がひとつも見えなかった日。よりによって、その当日に猫を飼わないかともちかけられるなんて。「なんだろうね。不思議だね。」とみんなで言い合いましたが、猫を飼うことはまだ考えられませんでした。


 それから数ヶ月が過ぎ、またその方が母に、「あの猫まだ売れ残っているんだけど、飼わない?」と言ったそうです。この頃にはわたしたちは、もしかしてこの子は運命の猫かもしれない、と思うようになっていました。そして家族会議の結果、二つの条件をクリアできたら、その猫をうちに迎えようということになりました。

犬のこと③ 2匹目のまるくん

 わたしの家族は、わたしが大学4年の年に新たなトイプードルの仔犬を迎えました。「わたしの家族は」と言ったのは、わたしはそのとき1年間のイギリス留学に出ており、家族と一緒に犬を迎えられなかったからです。

 父がトイプードル専門のペットショップへ仔犬を迎えに行き、小さなダンボールで出来たケーキの箱のような容れ物に入った、小さな小さな仔犬を連れて、家に帰ってきたそうです。

 家族は前に一週間で死んだ可哀想なまるくんが、この子と一緒にもう一度生きるようにと、この子にも同じまるくんという名前をつけました。留学先のイギリスには、新しいまるくんを迎えて大喜びの家族の写真が、何枚も送られて来て、わたしはとても嬉しく、また羨ましい気持ちでいっぱいでした。

 元々犬好きだった母と弟はもちろんのこと、「犬畜生」などと言って興味のないそぶりをしていた父までもが、小さなまるくんにメロメロでした。日本から送られてくる写真には、まるくんを膝に抱いた母や、頭に乗せた弟や、背中に乗せた父の笑顔がたくさん写っていました。

 弟からの手紙には、「まるは鳥で、うさぎで、羊で、猿で、犬だ!かわいい!」と書かれていました。家族がこの犬のおかげで、どんなに楽しく幸せだったか、今思い出しても心が温かくなります。

 わたしが帰国したときには、まるくんは我が家の王となっており、吠えるわ噛むわ、それはもう手の施しようのないほどのやんちゃ犬に成長していましたが、犬育て初心者のわたしたちなりに、愛だけはたっぷりと注いだと思います。

 もっと犬のしつけや健康のことをわかっていたら、と後から申し訳なく思うことがたくさんありますが、まるくんはわたしたちにたくさんの可愛い、楽しい思い出を残してくれました。


 

 

犬のこと② 最初のまるくん

 大学生になってからだったと思うのですが、母が、「犬を飼おう」と言いました。昔飼っていたマルチーズをまた飼いたいというので、名前はまるくんに決めました。マルチーズのまるくんです。ろくちゃんに負けない、いかしたネーミングですね。


 ペットショップを数件回ったあと、前から気になっていたという犬のブリーダーのお店へ行きました。店内ではたくさんの犬がものすごい勢いで吠えており、異様な雰囲気。お店のおじさんは犬たちを怒鳴りつけており、お姉さんたちはとても不機嫌。ひとつのケージに同じ種類の犬が数頭ずつ入れられていました。本当はその時点で何かおかしいと気づくべきだったんですよね。


 マルチーズが欲しいんです、と言うと、マルチーズは数ヶ月待ちです、と言う。代わりにこれは?と抱かされたのが、白い小さなもしゃもしゃのわんこでした。これは?マルチーズではないんですか?と聞くと、「トイプードルです」とのこと。うす汚れた白いわんこはとても可愛く、しっぽをちぎれんばかりに振って愛嬌を振りまいています。


 一瞬で仔犬に恋した私たちは、マルチーズではなくそのトイプードルを連れて帰ることにしました。もはやまるくんである必要性がなくなってしまった名前ですが、あまりにもまるくんを飼う、という気持ちが高まりすぎていたので、名前は結局まるくんになりました。


 まるくんは初日こそはしゃいで楽しそうにしていましたが、くしゃみをしたり、お腹を下したり、食欲がなかったりして、あまり調子が良くありませんでした。お店のおじさんに電話して来てもらいましたが、「変ですね。すきま風に当たって風邪ひいたかな」などという。我が家は床暖で、冬でもぽかぽかなのに、です。


 近所の方たちに教えてもらって、名医のところへ連れて行ったり、大学病院の獣医学部へ行ってインターフェロンを打ったり、考えうるすべてのことを尽くして頑張りましたが、結局まるくんはうちへ来てたったの一週間で、天に召されてしまいました。細い細い脚に点滴の針を入れたままでした。本当にかわいそうだった。


 いつか見た夢のように、やっぱり犬は長くとどまってはくれなかったのでした。でも、あのおじさんのお店に一週間長くいて亡くなるよりも、私たちのところで最期にたくさん愛されたことの方が少しはましだったのだと、みんな自分たちに言い聞かせました。

犬のこと①

 猫について②を書く前に、犬のことを書かないといけません。


 子どもの頃は犬が苦手でした。幼稚園の頃、父の知り合いと散歩に行って、道に迷ってとあるお宅の庭に入ってしまい、そこの大きな犬に太ももを噛まれたことがあります。とても怖くて痛かった。


 別の日には、お友達の家に遊びに行こうと道を歩いていると、なぜか繋がれていないダルメシアンが付いてきてしまい、逃げれば逃げるほど追いかけてくるので、泣きながら家に帰ったこともありました。


 そうそう、中学生のときには、登校中のわたしに野良犬が寄ってきて、(かばんにお弁当が入っていたからでしょうね)、ふくらはぎの下の方をがぶり。よく噛まれる子どもでした。


 わたしの母は犬がとても好きで、若い頃飼っていたモクというマルチーズの話を、よくしていました。犬が大好きな母の気持ちは、あまり理解できませんでした。


 それでも、犬のビジュアルは可愛いと思っていたし、小学生のころ友達の家の隣で仔犬が産まれて、だっこさせてもらった頃には、いつか犬を飼うことがわたしの夢になっていました。犬を飼いたい、と言っても両親が首を縦に振らなかったのは、子どもだったわたしと弟の面倒をみることで、お腹いっぱいだったからだと思います。


 犬が欲しくて欲しくて、時々は犬を飼う夢を見たりしていました。けれど必ず夢の中のわたしの犬は、あっという間に小さなペンケースに変わってしまったりして、なかなか一緒にいられないのでした。


猫について① ろくちゃん

猫が好きなんです。とても。

犬も大好きですが、近ごろは断然猫です。


子どもの頃祖母がろくちゃんという名前の猫を飼っていました。シルバーのチンチラ、なんだろうか、白い長毛の先がほんの少しだけ黒い、緑色の目をした美しい雌猫でした。ろくちゃんは6万円だったんだって。だからろくちゃん。いかしたネーミングセンスです。


ろくちゃんは私が物心ついたときには祖母の家にいました。祖母と叔父には懐いていましたが、私は子どもだったので、あまり気に入らなかったみたい。彼女の気分が乗らないときに触れようとすると、シャーッと怖い音を立てて、猫パンチを繰り出してきます。手のひらに大きな引っ掻き傷ができたことも。


ひとりになりたい気分の日には、私がどんなに一緒に遊びたくても、ろくちゃんは押入れの奥や冷蔵庫の後ろ、テレビの陰にかくれて出てきません。そのくせ祖母のことが大好きで、ソファにいる祖母のひざに飛び乗っては、むぎむぎと可愛いおててでお腹をマッサージしていました。祖母のことがとても羨ましかった。


ろくちゃんは私が高校生の時ぐらいまで生きていたんだっけ?とても長生きだったような気がします。亡くなった姿を見なかったので、今でも祖母の家を思い出すとき、ろくちゃんが一緒に思い出されます。その後ものすごく長生きした祖母も、一昨年天国へ行ったので、きっと虹の橋の向こうで首を長〜くして待っていたろくちゃんと、再会できたことでしょう。