ことばと猫と音楽と

英語を教える仕事をしています。猫が大好きですが、今は飼っていません。子どもの頃から大人になるまで、音楽を勉強しました。今も細々と学んでいます。食べることが大好き。

犬のこと② 最初のまるくん

 大学生になってからだったと思うのですが、母が、「犬を飼おう」と言いました。昔飼っていたマルチーズをまた飼いたいというので、名前はまるくんに決めました。マルチーズのまるくんです。ろくちゃんに負けない、いかしたネーミングですね。


 ペットショップを数件回ったあと、前から気になっていたという犬のブリーダーのお店へ行きました。店内ではたくさんの犬がものすごい勢いで吠えており、異様な雰囲気。お店のおじさんは犬たちを怒鳴りつけており、お姉さんたちはとても不機嫌。ひとつのケージに同じ種類の犬が数頭ずつ入れられていました。本当はその時点で何かおかしいと気づくべきだったんですよね。


 マルチーズが欲しいんです、と言うと、マルチーズは数ヶ月待ちです、と言う。代わりにこれは?と抱かされたのが、白い小さなもしゃもしゃのわんこでした。これは?マルチーズではないんですか?と聞くと、「トイプードルです」とのこと。うす汚れた白いわんこはとても可愛く、しっぽをちぎれんばかりに振って愛嬌を振りまいています。


 一瞬で仔犬に恋した私たちは、マルチーズではなくそのトイプードルを連れて帰ることにしました。もはやまるくんである必要性がなくなってしまった名前ですが、あまりにもまるくんを飼う、という気持ちが高まりすぎていたので、名前は結局まるくんになりました。


 まるくんは初日こそはしゃいで楽しそうにしていましたが、くしゃみをしたり、お腹を下したり、食欲がなかったりして、あまり調子が良くありませんでした。お店のおじさんに電話して来てもらいましたが、「変ですね。すきま風に当たって風邪ひいたかな」などという。我が家は床暖で、冬でもぽかぽかなのに、です。


 近所の方たちに教えてもらって、名医のところへ連れて行ったり、大学病院の獣医学部へ行ってインターフェロンを打ったり、考えうるすべてのことを尽くして頑張りましたが、結局まるくんはうちへ来てたったの一週間で、天に召されてしまいました。細い細い脚に点滴の針を入れたままでした。本当にかわいそうだった。


 いつか見た夢のように、やっぱり犬は長くとどまってはくれなかったのでした。でも、あのおじさんのお店に一週間長くいて亡くなるよりも、私たちのところで最期にたくさん愛されたことの方が少しはましだったのだと、みんな自分たちに言い聞かせました。

犬のこと①

 猫について②を書く前に、犬のことを書かないといけません。


 子どもの頃は犬が苦手でした。幼稚園の頃、父の知り合いと散歩に行って、道に迷ってとあるお宅の庭に入ってしまい、そこの大きな犬に太ももを噛まれたことがあります。とても怖くて痛かった。


 別の日には、お友達の家に遊びに行こうと道を歩いていると、なぜか繋がれていないダルメシアンが付いてきてしまい、逃げれば逃げるほど追いかけてくるので、泣きながら家に帰ったこともありました。


 そうそう、中学生のときには、登校中のわたしに野良犬が寄ってきて、(かばんにお弁当が入っていたからでしょうね)、ふくらはぎの下の方をがぶり。よく噛まれる子どもでした。


 わたしの母は犬がとても好きで、若い頃飼っていたモクというマルチーズの話を、よくしていました。犬が大好きな母の気持ちは、あまり理解できませんでした。


 それでも、犬のビジュアルは可愛いと思っていたし、小学生のころ友達の家の隣で仔犬が産まれて、だっこさせてもらった頃には、いつか犬を飼うことがわたしの夢になっていました。犬を飼いたい、と言っても両親が首を縦に振らなかったのは、子どもだったわたしと弟の面倒をみることで、お腹いっぱいだったからだと思います。


 犬が欲しくて欲しくて、時々は犬を飼う夢を見たりしていました。けれど必ず夢の中のわたしの犬は、あっという間に小さなペンケースに変わってしまったりして、なかなか一緒にいられないのでした。


猫について① ろくちゃん

猫が好きなんです。とても。

犬も大好きですが、近ごろは断然猫です。


子どもの頃祖母がろくちゃんという名前の猫を飼っていました。シルバーのチンチラ、なんだろうか、白い長毛の先がほんの少しだけ黒い、緑色の目をした美しい雌猫でした。ろくちゃんは6万円だったんだって。だからろくちゃん。いかしたネーミングセンスです。


ろくちゃんは私が物心ついたときには祖母の家にいました。祖母と叔父には懐いていましたが、私は子どもだったので、あまり気に入らなかったみたい。彼女の気分が乗らないときに触れようとすると、シャーッと怖い音を立てて、猫パンチを繰り出してきます。手のひらに大きな引っ掻き傷ができたことも。


ひとりになりたい気分の日には、私がどんなに一緒に遊びたくても、ろくちゃんは押入れの奥や冷蔵庫の後ろ、テレビの陰にかくれて出てきません。そのくせ祖母のことが大好きで、ソファにいる祖母のひざに飛び乗っては、むぎむぎと可愛いおててでお腹をマッサージしていました。祖母のことがとても羨ましかった。


ろくちゃんは私が高校生の時ぐらいまで生きていたんだっけ?とても長生きだったような気がします。亡くなった姿を見なかったので、今でも祖母の家を思い出すとき、ろくちゃんが一緒に思い出されます。その後ものすごく長生きした祖母も、一昨年天国へ行ったので、きっと虹の橋の向こうで首を長〜くして待っていたろくちゃんと、再会できたことでしょう。





英語について

 今日からブログを始めることにしました。

「今どき」についていけるのか、どきどきしていますけど、何ごとも最初の一歩から。


 今日はブログ名「ことばと猫と音楽と」のひとつめ。ことばについて、です。


 本当に小さいときから英語に強い憧れを持った子どもでした。理由も、はっきりしたきっかけもなく。小学校一年生の時には友だちに、「私には外国に友だちがいて、話したら日本語になおしてくれる電話でおしゃべりしている」という壮大なウソをついたのを、今でもはっきり覚えています。恥ずかしいウソなので、今からその友だちに謝りたい気持ちでいっぱい。けれど、それは幼い私にとっての理想の自分であり、つい先日十数年来のメキシコ人の友だちとやっとテレビ電話で2時間おしゃべりを楽しんだことを考えると、将来の自分の予想図であったかもしれない、あるいはそのウソを目指して、無意識に「嘘から出たまこと」を実現したのかもしれない、と思います。本当に小さい頃の強い願いは、忘れたころにこうやって叶うものなのかもしれませんね。


 わたしはまあまあ英語が話せます。単語を勉強することが好きではなかったので、難しい単語は調べないとわからないこともありますが、日常会話はほぼ問題がないくらい。発音おたくだったので、発音には少し自信があります。中高生の頃はNHKラジオ講座にお世話になって、毎日ネイティヴの発音を真似していました。どうやったらこの音になるのか、耳をスピーカーにくっつけて、真似していたっけ。英語の魅力はイントネーションのアップダウン。平坦な日本語とは違って、メロディーみたいに言葉がつながり流れていくところ。わたしにとって英語は、音楽と同じようなものなのかもしれません。


 家族は英語が話せません。中高生のころは先生方に、両親が英語ができるのか、とか、外国に住んでいたのか、と聞かれましたけど、そうではないし、わたしも発音は上手でしたが自分の力で話せたわけではありませんでした。ただ、わたしの会ったことのない父方の曽祖父は、子どもだった父に英語を教えてくれたそうです。「あいはばなぽー」と、ピコ太郎さんに負けない発音をしていたというから、当時にしてはずいぶん勉強家だったのではないかと思います。その血をわたしが受け継いでいたのなら嬉しい。


 いつか外国の方と結婚して国外に暮らすかも、とわたしも周りの人たちも漠然と思っていましたが、思いがけず(?)日本人の夫と結婚したので、いまだに英語を話す人は家族でわたしひとりです。