ことばと猫と音楽と

英語を教える仕事をしています。猫が大好きですが、今は飼っていません。子どもの頃から大人になるまで、音楽を勉強しました。今も細々と学んでいます。食べることが大好き。

運命の人②

 夫が運命の人だったんだと思ったエピソードがもう一つあります。


 結婚する少し前に私の祖母が亡くなり、しばらくは祖母と同居していた伯父が、そこで一人暮らしをしていたのですが、伯父も高齢で、脳梗塞を経験したために麻痺が残ったこともあり、そこを引き払って施設に入ることになりました。


 せっかく先祖がずっと住んでいた土地なので、他人に売るのももったいないということで、話し合いの末、私たち夫婦がそこに新たに家を建てることになったのです。


 夫が職場でその話をしたところ、実は隣のマンションには、夫の同期がいることが明らかになりました。また、夫の職場の飲み会では、同じ営業所の後輩が、「昔そこに住んでいたSくんという男の子と、保育園が一緒だった」と言っていたというので聞くと、どうやら私の弟の友達だったもよう。


 初めて参加したお見合いパーティーで知り合った、自分とは全く違う世界の人だと思っていた夫が、色々な糸で私とつながっていることを知り、運命の人っているんだな、としみじみ感じている今日この頃です。

運命の人

 夫と知り合ったときは、特にビビビッと来ませんでした。毎日メールが来たり、食事に出かけたりすることが「嫌ではないな」という感覚があったほかは、特に強い決め手があって結婚したわけではないのですが、なんとなくそちらの方向へ、スイスイと進んでいった感じです。

 けれど結婚してからいくつか、「この人は私と結婚すべき人だったんだ」と思うエピソードがあります。

 私は猫が好きで、結婚する直前に9年間飼っていた病弱な愛猫が亡くなったことを知っていた夫は、私を何度か猫カフェに連れて行ってくれました。そのうちの一件に、わたしの猫にそっくりなチビちゃんがいて、初めてその子を見た時には胸が一杯になって号泣してしまったのですが、2度目にそこを訪れたときのこと。

 猫カフェでは受付で時間を書いた首から下げるタグを受け取り、手洗いと消毒を済ませて猫のいる部屋へ入ります。ドアを開けて部屋に一歩踏み入れると、あろうことか20年前から連絡が途絶えていた従姉妹が猫をじゃらしているではありませんか。思わず従姉妹の名前を叫んでしまった私。困惑する夫と周りのお客さんをよそに、ありったけの伝えたかったことを話しました。従姉妹の両親が離婚したために、20年ほど前にこちらの親族とは縁が切れてしまったのですが、私にとっては子どもの頃本当に大好きだった従姉妹です。携帯の番号だけは聞き出して、連絡が取れるようになりました。その猫カフェは、夫が昔何度か遊びに行ったことのある場所で、私は夫と出会うまで猫カフェにはなぜか興味がなかったので、不思議なことだなぁ、と思いました。

世界は思い通りにはならない

 若い頃は機嫌の良くない日が多い人でした。主に好きな人がわたしのことを好きではない、という理由で。あるいは、クールな人たちが私と友だちになりたがらない、とか。自分が自分であることに、ハッピーじゃなかったな、もったいなかったな、と今は思います。


 ツイッターだったと思うけど、いつか美輪明宏さんの「お米を買いに来た人に、タワシをお勧めしても無駄なんです。」という言葉があまりにも腑に落ちて、それから、若い時の恋愛や友人関係がなぜちっともうまく行かなかったのか、わかった気がしました。わたしとは違うひとたちのことが好きな誰かを、振り向かせようとしても無駄。自分のことを好きな人の中から、相手を選べば良いだけのことでした。


 思春期の子どもたちと毎日過ごしているので、機嫌の悪い子どもに出会うこともよくあります。その度に、世の中は思い通りにはいかない、ということをどうやって上手に伝えられるか考えています。世の中はちっとも思い通りにいかないけれど、それで良い。むしろ「自分を超えた何かの思し召しなのかもしれない」と思えるくらいに、ときどきものすごくうまくできていると感じることがあるものだと、だからうまくいかない今もそれでいいのだと、伝えられたらいいと思います。


 

部活がなくてもそもそもブラック

ブラック部活動が取り上げられるようになってきましたが…

教員の仕事、部活がゆるくてもそもそもブラックです。


8時頃出勤(勤務時間は8時15分から)

8時20分職員打ち合わせ

8時半から担任は学級で朝の会など

8時55分から給食前4時間授業

うち1時間空き時間で授業準備など

12時55分から1時15分給食

担任は学級で給食指導

副担任は職員室

1時15分から昼休み20分間

担任は教室、副担任は廊下等巡視

その間に生徒指導または委員会活動がある日も

午後ひとコマまたはふたコマ授業

空き時間1時間あれば授業準備または事務処理

5時間授業の日は放課後会議

会議のない日は委員会または放課後活動

それで勤務時間めいっぱい

そのあと部活指導

ゆるくしているので週三回5時半まで

同時進行で局の指導5時半から6時くらいまで

合間に事務処理、成績処理など

帰りは早くて6時半、8時くらいになることも

もっと遅くまで残っている人が必ずいます

採点業務持ち帰るも力尽きてできないことが多い


帰りに必要なら買い物

帰宅後洗濯と夕飯準備、お風呂の準備布団準備

寝る時間は早くて12時すぎ

終わらない仕事は行ける土日にサービス出勤


授業の他に

生徒指導

保護者対応

行事の準備と運営

公務として局会指導

行事の写真を撮って保存

学年だよりを作る

PTAの仕事

部活動

トイレ清掃監督


休憩時間ありません

残業手当は出ません

それでこれ以上教育の質を上げろと言われても無理です。


教員人数増やしてください。

教科を教える以外の仕事を専門家に回してください。

クラスの人数減らしてください。

勤務時間で帰してください。

休憩時間をください。

私たちクタクタです。



三角コーナーはいらないと思う

二十代の頃三年ほど外国で暮らしていたのを除いては、40近くで結婚するまでずっと実家暮らしをしていたので、(それは言い訳にすぎないけれど)家事はほとんどしてこなかったのです。仕事柄夜遅くまで男のように働き、クタクタで帰宅して母が用意してくれた晩ご飯を食べ、お風呂に入ったら1日が終わる、という日常を、10年以上続けていました。


食べることが好きなので、お料理はクックパッドのお世話になりながらだいぶ上達したと思いますが、掃除は得意ではありません。キッチンでいつも気がかりだったのが、排水溝の汚れと三角コーナーのカビ。特に三角コーナーは見える場所にあるので、どうして たら綺麗に保てるのか、悩んでいました。自分のキッチンを持つことになって、色々買い物しながら、自立するキッチン用ゴミ袋を発見。多少値段は張るものの、ポイと捨てられる手軽さには勝てない、としばらく使っていたのです。


が、


そんなのを買わなくても、毎日郵便受けに入っているチラシや、一度しか使わずに捨てるラップやホイルを取っておいて、キッチンに広げて生ゴミを包めば、大体の場合それで十分じゃないか。


なんてエコ!

なんて経済的!


というわけでどんどんよけいなものを削ぎ落としていって、いつかミニマリストになれるかもしれないと思い始めています。

出会いは繋がっていると思う話

 40年以上生きているので、これまで本当にたくさんの人と出会いました。人生は自分の思い通りにはいかないけれど、あとから振り返ってみると、「なるほど、そのために出会ったのね」と思うことがたくさんです。

 たとえば、大学生の時に密かに憧れていたイギリス人留学生のAくん。わたしは大学が斡旋する彼のチューター(といってもただの友達)になったので、会えるときは毎日学食でランチを食べ、週末もしょっちゅう遊びに行き、かなり親しくなっていました。彼は背が高くハンサムで、テクノとかブリットポップ?みたいな、わたしの知らない音楽をたくさん知っている人でした。

 今思うと彼はゲイで、わたしは彼にとってただの友達だったのだけど、わたしは彼に身がよじれるほどの片思いをしていました。ある日Aくんは私に、「アキ、イギリスに留学してよ。アキが来たら本当に楽しいと思う。」と言ったのです。わたしはそれはもう、プロポーズされたかのように有頂天になって、両親に相談しました。すると母がボソッと「あなたが勉強したいコダーイシステムを、勉強できるところがあるなら行なさい。」と。そこであくる日Aくんに相談したところ、「僕の母さんがロンドンのコダーイセンターで勉強しているから、行ったらいいよ。」と。

これは、これは運命に違いない、わたしはイギリスに留学して、コダーイも勉強して、Aくんのお母さんとも仲良くなって、ゴールインに違いない、国際結婚ロンドンライフなんだわ!と希望を胸に膨らませすぎながら、とうとうロンドンに留学することにしたのでした。

結論から言うと、ロンドンでは早々にAくんとうまくいかなくなり、(しかしAくんのお母さんはとても良い方で、親しくしてくださり)、最終的にわたしに残ったのは、そこで勉強した英語とコダーイシステムでした。ロンドンのコダーイセンターで勉強していた折、当時の先生から「アキならハンガリーコダーイを勉強して、コダーイシステムの先生になれるよ」と言われたことを鵜呑みにし、後にわたしはハンガリーへ旅立つことになったのです。

コダーイは、怪しい人ではない

大学を卒業した後、ハンガリーのケチケメート市というところにある、コダーイ研究所で2年学びました。「コダーイ研究所でディプロマを取りました」と言ったら、「それは、UFOを呼ぶ施設か何か?」と聞かれたことがあります。


違います。


ゾルターン・コダーイは、ハンガリーの作曲家、音楽教育家であり、そのメソッドは確か昨年世界無形文化遺産に登録されたのではなかったかしら。


コダーイメソッド、とよく呼ばれるけれど、それはむしろ精神とか哲学で、手短かに説明すると「自国のわらべ歌と民謡をつかって、小さな頃から段階的に音楽教育を行うことで、ひとりひとりに音楽的な根をつくり、そこからクラシック音楽や他国の音楽、現代の音楽へと広く音楽的なリテラシーを身につけさせることにより、人生を豊かに生きる力を養う」というもの。←手短かじゃないですね。


とどのつまりコダーイメソッドは、コダーイが音楽を通して実現したかった、内面が豊かな人たちが集まってできている、理想的な社会を目指す哲学なのだと思います。


だから、ピアノが上手いとか、高いソプラノボイスが出るとか、そういうことばかりではなくて、プロにならないアマチュアも、あるいは音楽家でもない普通の市井の人たちがみんな、音楽という心を豊かにするツールにアクセスするための手段を、公教育で提供しましょう、ということなのです。


そういう公教育が実現したら、日本は文化的に本当に豊かな国になるな、ピアニストばかりがひしめいているのではなくて、そのせっかく素晴らしい演奏を、楽しむ多くの聴衆が育つといいな、と思います。心から。